名曲「高砂」は加古川河口を出発した舟が明石海峡、西宮沖(鳴尾沖)を経由して大阪に至る潮路をうたっていて、古墳時代の明石国の国歌?ともいうべきものです。

高砂やこの浦舟に帆をあげて 月もろともにいでしおの 浪の淡路の嶋かげや
遠く鳴尾(なるを)の沖すぎて 早や住の江につきにけり。

兵庫県最大の古墳を築いた
五世紀頃の明石の王者は播磨灘東部だけでなく
大阪湾北岸の海沿いもおさえていたようです
http://filologos.diarynote.jp/200508191801530000/
「高砂」は明石の水行勢力の絶頂期を謡っているのかもしれません

さて、住吉大社は長く伸びる上町台地のつけ根に位置する。
西宮戎が天橋立のような砂洲のつけ根に位置していたのに似ている。

摂津国住吉郡は大和川つけかえまで堺の町の北半分にまでおよんでいた。
大和川の流路変更の後、摂津と和泉の堺は大和川に変更された。

古墳時代の住吉大社のあたりには海岸の砂洲の内側にも入り江があった。
住吉津である。風土記は一漕で七つの波濤を越える
スピードボートが淡路島から住吉まで
日々、天皇の飲料水を運んだと伝える

御食つ国(みけつくに) 日の調(ひびのみつぎ)
と淡路の野島の海人(のじまのあま)...
船並(ふねな)めて仕えまつるべし
山部赤人 万葉 巻6 933

朝凪に梶の音聞こゆ 御食つ国
野島の海人の 船にしあるらし 934

白浪の千重によする住吉の
岸の黄土粉(はにふ)に にほひてるかな 932 


平安朝に流行した熊野詣
京都を発った貴族たちの一行は
高麗橋で船を下り
熊野街道を動きはじめる
松屋町筋や谷町筋のひとつ東の筋を南下
松虫、北畠、帝塚山東をへて
住吉大社に達する


明石海峡の朝
今日も暗いうちから漁船の大群がエンジン音を響かせて
小豆島沖の瀬戸内最大の漁場、鹿ノ瀬(しかのせ)に向かっていくのが見える。
強力なエンジンを積んでいるらしく、すごく速い。
まるでボートレースのよう。
今日の夜明け。
明石大橋が夕焼けのようにあかい東の空に浮かんでいた。




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