霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
上杉謙信
二星何恨隔年逢
今夜連床散鬱胸
私語未終先酒涙
合歓枕下五更鐘
直江兼続
謙信の詩は遠征軍が
能州(能登国)を攻め取ったときのもの
兼続の詩は男女の夜を徹しての合歓
「ひなぶり」は大歌所(おおうたどころ)に伝えられた宮中を代表する楽舞。
鼓吹に合せて奏楽し、朝会公儀等の時に用いられたらしい。
あもなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまるの あなだまはや みた
にふたわたらす あぢすきたかひこね
あまさかる ひなつめの いわたらすせと いしかはかたふち かたふちに あみはり
わたし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち
和歌の祖とされる下照姫の作とされ、由来は日本書紀の歌謡。
これは日本語なのだろうかと解釈に苦しむ歌である。
古事記には、その一部分が伝わる。
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなだまは
や みたにふたわたらす あぢしきたかひこねの かみぞや
この歌を解釈した本居宣長は
天なるや 弟棚機のうながせる
玉の御統 御統に あな玉はや
み谷 二(ふた)わたらす
阿遅志貴高日子根の神ぞや
として天織姫が首にかける宝石と
アジスキタカヒコネ神が発する光が谷を渡って輝く情景をえがいた。
日本版の七夕、織姫と彦星なのだろうか
古今和歌集 仮名序は、この歌について次のようにいう。
世に伝はることは、久方の天にしては下照姫に始まり..
下照姫とは 天わかみこの妻なり
兄の神のかたち 丘谷にうつりて輝くをよめるえびす歌なるべし
ここでは、夷(ひな)を「えびす」と言い換えている。
枕詞「あまさかる」は「ひな」で受けないと五七調にならないが
本来はエビスを修飾する言葉が「あまさかる」だったのかもしれない。
そうであれば、夷振は「えびすぶり」になる。
西宮戎の「えびすかき」が宮中で披露されていたことにも通じる。
ちなみに「あまさかる鄙(ひな)」という書き方は万葉集にはなく、後代の解釈による当て字だそうな。「鄙」という字は悪い意味が強すぎて避けられていたらしい。
鼓吹に合せて奏楽し、朝会公儀等の時に用いられたらしい。
あもなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまるの あなだまはや みた
にふたわたらす あぢすきたかひこね
あまさかる ひなつめの いわたらすせと いしかはかたふち かたふちに あみはり
わたし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち
和歌の祖とされる下照姫の作とされ、由来は日本書紀の歌謡。
これは日本語なのだろうかと解釈に苦しむ歌である。
古事記には、その一部分が伝わる。
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる みすまるに あなだまは
や みたにふたわたらす あぢしきたかひこねの かみぞや
この歌を解釈した本居宣長は
天なるや 弟棚機のうながせる
玉の御統 御統に あな玉はや
み谷 二(ふた)わたらす
阿遅志貴高日子根の神ぞや
として天織姫が首にかける宝石と
アジスキタカヒコネ神が発する光が谷を渡って輝く情景をえがいた。
日本版の七夕、織姫と彦星なのだろうか
古今和歌集 仮名序は、この歌について次のようにいう。
世に伝はることは、久方の天にしては下照姫に始まり..
下照姫とは 天わかみこの妻なり
兄の神のかたち 丘谷にうつりて輝くをよめるえびす歌なるべし
ここでは、夷(ひな)を「えびす」と言い換えている。
枕詞「あまさかる」は「ひな」で受けないと五七調にならないが
本来はエビスを修飾する言葉が「あまさかる」だったのかもしれない。
そうであれば、夷振は「えびすぶり」になる。
西宮戎の「えびすかき」が宮中で披露されていたことにも通じる。
ちなみに「あまさかる鄙(ひな)」という書き方は万葉集にはなく、後代の解釈による当て字だそうな。「鄙」という字は悪い意味が強すぎて避けられていたらしい。
「愛知」の語源は万葉 270 高市連黒人羈旅歌八首のうちのひとつ
櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡
さくらだへ たづなきわたる あゆちがた
しほひにけらし たづなきわたる
古代の名古屋は有明海のような風景だったのだろうか
櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡
さくらだへ たづなきわたる あゆちがた
しほひにけらし たづなきわたる
古代の名古屋は有明海のような風景だったのだろうか
玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流
水烏二四毛有哉 家不念有六
万葉集 山部赤人の歌
2・4・6という数字の遊びが面白い。
「たまもかる からにのしまに しまみする
うにしもあれや いえおもわずあらむ」 と読むらしい。
あぢさはふ 妹が目離かれて 敷栲しきたへの 枕もまかず
桜皮かには巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば
淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 辛荷の島の
島の際ゆ わぎへを見れば 青山の そことも見えず
白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る
島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み
巻6−942
の反歌として家をしのぶ歌とされているが
本当にそうなのだろうか
水烏二四毛有哉 家不念有六
万葉集 山部赤人の歌
2・4・6という数字の遊びが面白い。
「たまもかる からにのしまに しまみする
うにしもあれや いえおもわずあらむ」 と読むらしい。
あぢさはふ 妹が目離かれて 敷栲しきたへの 枕もまかず
桜皮かには巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば
淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 辛荷の島の
島の際ゆ わぎへを見れば 青山の そことも見えず
白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る
島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み
巻6−942
の反歌として家をしのぶ歌とされているが
本当にそうなのだろうか
兵庫・岡山県境の瀬戸内側は複雑に入り組んだ多島美を誇る。
牛窓に集中する古墳群から眺める瀬戸内海の景色は絶景。
牛窓の波の潮騒島響(とよ)み寄そりし君は逢はずかもあらむ 2745
伝柿本人麻呂 (万葉集)
牛窓の語源としては、牛にちなむ伝説があるが
アイヌ語でウシ、ウスは入江・湾を意味する。
これは、このあたりの地形にぴったりである。
ウスは、またアイヌ語で「多い」という意味もある。
アイヌ語の造語法にも反するし、倭語・アイヌ語折衷になるが
「島が多い」という意味も魅力的。
清盛の父、平忠盛には瀬戸内の風景を詠んだ印象的な歌がいくつかある。
彼は、また、史上数少ない瀬戸内の覇者のひとりである。
http://filologos.diarynote.jp/200803110850520000/
牛窓のやや東、海に近い山中の細道を行くと虫明湾がある。
「虫明(むしあけ)の迫門(せと)の曙見る折ぞ都のことも忘られにけり」 (玉葉和歌集)
明迫(あけさこ)の風景の清らかさと都の政治の悩ましさの対比を詠んで秀逸。
明石をうたっては
「有明の月も明石の浦風に浪ばかりこそよると見えしか」金葉集
武骨なだけではない武士の棟梁の存在感がある。
船で行く旅の風情は万葉や土佐日記にも通じる。
歌を詠む海賊といえば、大和守武吉(たけよし)をはじめとする
戦国期の村上水軍の総帥たちも和歌と宴を好んだようである。
赤穂市坂越から、備前虫明にかけて広島に劣らぬ牡蠣の産地でもある。
広島、岡山産だけでなく、兵庫県産の牡蠣もよろしく^^
牛窓に集中する古墳群から眺める瀬戸内海の景色は絶景。
牛窓の波の潮騒島響(とよ)み寄そりし君は逢はずかもあらむ 2745
伝柿本人麻呂 (万葉集)
牛窓の語源としては、牛にちなむ伝説があるが
アイヌ語でウシ、ウスは入江・湾を意味する。
これは、このあたりの地形にぴったりである。
ウスは、またアイヌ語で「多い」という意味もある。
アイヌ語の造語法にも反するし、倭語・アイヌ語折衷になるが
「島が多い」という意味も魅力的。
清盛の父、平忠盛には瀬戸内の風景を詠んだ印象的な歌がいくつかある。
彼は、また、史上数少ない瀬戸内の覇者のひとりである。
http://filologos.diarynote.jp/200803110850520000/
牛窓のやや東、海に近い山中の細道を行くと虫明湾がある。
「虫明(むしあけ)の迫門(せと)の曙見る折ぞ都のことも忘られにけり」 (玉葉和歌集)
明迫(あけさこ)の風景の清らかさと都の政治の悩ましさの対比を詠んで秀逸。
明石をうたっては
「有明の月も明石の浦風に浪ばかりこそよると見えしか」金葉集
武骨なだけではない武士の棟梁の存在感がある。
船で行く旅の風情は万葉や土佐日記にも通じる。
歌を詠む海賊といえば、大和守武吉(たけよし)をはじめとする
戦国期の村上水軍の総帥たちも和歌と宴を好んだようである。
赤穂市坂越から、備前虫明にかけて広島に劣らぬ牡蠣の産地でもある。
広島、岡山産だけでなく、兵庫県産の牡蠣もよろしく^^
今年の如月は今日から。
つまり今日が如月朔日、きさらぎ ついたち。
去年、閏卯月(平成13年/5/23〜6/20)があって
今年は3月28日が「如月望月」にあたります。
西行の辞世の句
「願わくは花のもとにて春死なむ
その如月の望月のころ」が、ぴったり
はまりそうです。ちなみに去年の3月28日は
「弥生四日」。
西行はもと北面の武士、佐藤義清(のりきよ)。
佐藤家には代々、佐渡守になったひとが多い。
それで、佐藤と称した???
俵藤太(藤原秀郷)直系の子孫であり
鳥羽上皇につかえていた。
そのときの同僚に平清盛がいる。
佐藤家の経済基盤は田仲庄(たなかのしょう)
紀ノ川北岸、粉河寺と根来寺の中ほどにあった。
始祖、俵藤太(田原藤太)には数々の伝説がある。
代表的なものが三上山のムカデ退治。
取り出しても取り出しても米が尽きない俵を
竜王に贈られて持っていたという。
田原というのは、紀ノ川から奈良盆地に入り
宇治川をさかのぼって湖東に至る米作地帯を
いうようである。
さて、明石の海...
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ..
古今集羇旅409 伝柿本人麻呂作
最近の明石の海は冬の荒々しさが消えて、すっかり
春の風情。朝霧の中、いかなご漁の小舟が海一面
に広がっています。
いかなごのくぎ煮の季節、真っ只中。
つまり今日が如月朔日、きさらぎ ついたち。
去年、閏卯月(平成13年/5/23〜6/20)があって
今年は3月28日が「如月望月」にあたります。
西行の辞世の句
「願わくは花のもとにて春死なむ
その如月の望月のころ」が、ぴったり
はまりそうです。ちなみに去年の3月28日は
「弥生四日」。
西行はもと北面の武士、佐藤義清(のりきよ)。
佐藤家には代々、佐渡守になったひとが多い。
それで、佐藤と称した???
俵藤太(藤原秀郷)直系の子孫であり
鳥羽上皇につかえていた。
そのときの同僚に平清盛がいる。
佐藤家の経済基盤は田仲庄(たなかのしょう)
紀ノ川北岸、粉河寺と根来寺の中ほどにあった。
始祖、俵藤太(田原藤太)には数々の伝説がある。
代表的なものが三上山のムカデ退治。
取り出しても取り出しても米が尽きない俵を
竜王に贈られて持っていたという。
田原というのは、紀ノ川から奈良盆地に入り
宇治川をさかのぼって湖東に至る米作地帯を
いうようである。
さて、明石の海...
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ..
古今集羇旅409 伝柿本人麻呂作
最近の明石の海は冬の荒々しさが消えて、すっかり
春の風情。朝霧の中、いかなご漁の小舟が海一面
に広がっています。
いかなごのくぎ煮の季節、真っ只中。
近くの農協に行ったら
「名ぐはしき 稲美の海の 沖つなみ 千重に隠りぬ
大和島根は(柿本人麻呂)」という歌が書いてあった。
今日、万葉にあることを確認。 古代の加古川は風流
だったんですねえ。
名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
なぐはしき いなみのうみの おきつなみ
ちへにかくりぬ やまとしまねは
0303
「名ぐはしき 稲美の海の 沖つなみ 千重に隠りぬ
大和島根は(柿本人麻呂)」という歌が書いてあった。
今日、万葉にあることを確認。 古代の加古川は風流
だったんですねえ。
名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
なぐはしき いなみのうみの おきつなみ
ちへにかくりぬ やまとしまねは
0303
応神紀 −− 淡路島 いやふた並び
2002年1月27日 歌枕せっかく眺望雄大なところに住んでいながら帰ってくるのは夜中
ということも多く家で、じっくり沈む陽を見たのはひさしぶりな
気がする。
今は小豆島より南で、四国の庵治(あじ)あたりの水平線上に
陽が沈む。日没直前には、真っ赤な空を背景にして巨大な小豆島が
黒々と浮かび上がる。
淡路島 いやふた並び 小豆(あづき)島 いやふた並び
よろしき 島々 たか たされあらちし 吉備なる妹を
相見つるものを (応神紀)
阿波旆辞摩 異椰敷多那羅弭 阿豆枳辞摩 異椰敷多那羅弭
予呂辞枳辞摩之魔 ...
旆:市-> 尼。これは、大和のおおきみと吉備の王妹の恋の歌。
80人の漕ぎ手がこぐ丸木舟?が登場する。
庵治は晩年のイサム・ノグチがアトリエをかまえて製作に
はげんだところ。 万葉は「庵治の上」を「味鎌」と書く。
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/bd_ind.htm
イサム・ノグチ庭園美術館
味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方
あぢかまの しほつをさして こぐふねの
なはいふてしも あはずあらめやも
2747
さて、今日食べた変ったもの。白子のお好み焼き。
阪神御影駅から西へ高架にそって少しあるくと
高架下にお好み焼きの「さとみ」がある。
ラーメンで大阪のあっさりと京都のこってりは
有名ですが、お好み焼きでも大阪があっさり好み
なのに対して神戸のお好み焼きはこってりが多い。
さとみは、その代表?
今日は家で、さとみ風タラの白子のお好み焼きを
食す。ソースもいかにも神戸..の、どろソース。
ということも多く家で、じっくり沈む陽を見たのはひさしぶりな
気がする。
今は小豆島より南で、四国の庵治(あじ)あたりの水平線上に
陽が沈む。日没直前には、真っ赤な空を背景にして巨大な小豆島が
黒々と浮かび上がる。
淡路島 いやふた並び 小豆(あづき)島 いやふた並び
よろしき 島々 たか たされあらちし 吉備なる妹を
相見つるものを (応神紀)
阿波旆辞摩 異椰敷多那羅弭 阿豆枳辞摩 異椰敷多那羅弭
予呂辞枳辞摩之魔 ...
旆:市-> 尼。これは、大和のおおきみと吉備の王妹の恋の歌。
80人の漕ぎ手がこぐ丸木舟?が登場する。
庵治は晩年のイサム・ノグチがアトリエをかまえて製作に
はげんだところ。 万葉は「庵治の上」を「味鎌」と書く。
http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/bd_ind.htm
イサム・ノグチ庭園美術館
味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方
あぢかまの しほつをさして こぐふねの
なはいふてしも あはずあらめやも
2747
さて、今日食べた変ったもの。白子のお好み焼き。
阪神御影駅から西へ高架にそって少しあるくと
高架下にお好み焼きの「さとみ」がある。
ラーメンで大阪のあっさりと京都のこってりは
有名ですが、お好み焼きでも大阪があっさり好み
なのに対して神戸のお好み焼きはこってりが多い。
さとみは、その代表?
今日は家で、さとみ風タラの白子のお好み焼きを
食す。ソースもいかにも神戸..の、どろソース。
謡曲「松風」破の前段(四節)
汐汲車、わづかなる、浮世は廻る、はかなさよ、
波ここもとや須磨の浦。月さへ濡らす、袂かな。
秋に慣れたる須磨人の、秋に慣れたる須磨人の、
月の夜 汐を汲むようよ。
心づくしの秋風に 海はすこし遠けれども、
かの行平の中納言。関吹きこゆると詠め給ふ、
浦わの波の夜夜は、げに音近きあまの家
里離れたる、通ひ路の、月より外は 友もなし。
今日の海は朝から荒れ模様。
こうなると、どこからともなくサーファーたちが
続々とあらわれる。情報がはやい。
明石海峡は古来、難波難海と呼ばれ
源氏物語が「関吹き越ゆる、すさまじき波」と表現した姿で
強風とともに荒れくるうことが、しばしばあり、そんなときは
海辺の丘の上に立っていると、風で飛ばされそうになる。
汐汲車、わづかなる、浮世は廻る、はかなさよ、
波ここもとや須磨の浦。月さへ濡らす、袂かな。
秋に慣れたる須磨人の、秋に慣れたる須磨人の、
月の夜 汐を汲むようよ。
心づくしの秋風に 海はすこし遠けれども、
かの行平の中納言。関吹きこゆると詠め給ふ、
浦わの波の夜夜は、げに音近きあまの家
里離れたる、通ひ路の、月より外は 友もなし。
今日の海は朝から荒れ模様。
こうなると、どこからともなくサーファーたちが
続々とあらわれる。情報がはやい。
明石海峡は古来、難波難海と呼ばれ
源氏物語が「関吹き越ゆる、すさまじき波」と表現した姿で
強風とともに荒れくるうことが、しばしばあり、そんなときは
海辺の丘の上に立っていると、風で飛ばされそうになる。