大阪市立美術館に行ってきた。
ここは大正14年(1925)に阪神間(住吉)に移転するまで
住友本家があったところで庭が慶沢園として残っている。
昭和元年に敷地約13000坪が大阪市へ寄贈された。
庭にいると広大な緑のまわりにビルが林立して
まるでセントラルパークである。

今日ここに来たのは、三井寺展を見るため。 
三井寺は密教だけあって秘仏が多く
このような機会がないと拝観することができない。
国宝の秘仏はいづれも非常に存在感がある。 見ていて飽きない。 
しかし、とにかく人が多かった。
人が多すぎて人だかりで見難い上に
午後5時で展示終了というので時間もあまりなく
ゆっくりできなくて残念だった。

今年は密教寺院として三井寺を確立した
智証大師 円珍が唐への留学を終えて
帰国してから1150年だそうである。
40代で留学したとのことだが
平均寿命の短かった当時のこと
現代の感覚でいうと70代で留学という感じかもしれない。

大峰山で修行したこともある円珍以来
三井寺は熊野修験を統括する寺でもあった。 
三井寺から大峰山をへて熊野にいたる山伏の道がある。
貴族や上皇たちは、それとは別に三井寺の案内で熊野街道をたどった。
山伏ではないが、北海道を含む全国の山々をめぐり歩いて
おどろくべき数の木彫りの仏たちを残した円空も三井寺に所属していた。  
三井寺は山に縁が深いようである。

三井寺は、その守護神もまた異形の神である。
渡来人の氏寺として始まった寺は
密教の神々とは別に
今でも異国の神を守護神として
特別に祭っている。

三井寺展の展示は二階から始まる。 
最初のほうに智証大師伝が展示されていて
円珍の母が弘法大師 空海の姪であると書かれていたが
妹であるとする記録もあるようだ。 
いずれにせよ、空海と円珍は極めて近い。 
同族といってもよい。 
歴史上、比叡山と三井寺は対立を繰り返したが
それはまるで最澄を継いだ比叡山と
空海の同族、円珍が確立した三井寺が
最澄と空海の対立を引き継いだ観がある。 

三井寺(園城寺)はアジールでもあった。
以仁王をかくまい蓮如を保護した。 
四天王寺や法隆寺において
蘇我氏系の人々がしたように
寺は壬申の乱の勝者側が敗者側の荘園城邑を没収して
敗者側の怨霊封じのためにつくられたのかもしれない。
この寺には落人に共鳴する精神がある。 
三井寺を維持してきたのは
比叡山からの落人と言ってもよい。 
今の三井寺には足利尊氏寄進の少数の建物を除き古い建物はない。 
安土桃山時代に秀吉によって取り潰しとなり
ねね(高台院)によって再建された結果である。 
このとき多くの寺宝は京都の貴族たちの屋敷に避難したようである。

展示のなかに如意寺の千手観音があった。 
円珍が三井寺の塔頭のひとつとして開いた
如意山普門寺は今は阿弥陀仏を本尊とするが
かつては観音様の寺だったのかもしれない。
法華経普門品とはまさに観音経を意味している。 


コメント

マーロウ
2008年12月7日20:19

>空海の同族、円珍が確立した三井寺が最澄と空海の対立を引き継いだ観がある。

 なるほど。何回か焼かれたようなことが書かれていたと思いますがゴーダマシーダルタ先生も日本の仏教がこのようになって伝えられたとは夢にも思わないでしょうね。大乗は大乗で面白いですけどね。


 確かに笑っているように思います。
 月のアルカイックスマイル。タイの政治を笑ってたりして。
 

望海波
2008年12月7日23:22

>大乗は大乗で
密教は小乗、大乗に対して金剛乗というそうですが
その雰囲気は仏教というよりはヒンズー教という感じがします。 
大乗仏教の顔をしたヒンズー教?
仏教ともなんとも言えない
修験道のわけのわからなさも金剛乗が原因?
法然や親鸞の浄土宗系は、金剛乗を否定して本来の大乗仏教に復帰したのか 
それとも阿弥陀仏絶対の一神教で、密教の大日如来が阿弥陀仏になっただけ?

>タイの政治
タイはガラヤニ王姉殿下が亡くなって王様の気力も衰え気味。
そこに世界金融危機がかさなってタイ好きとしては心配なところです

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