北風家は「兵庫の北風か 北風の兵庫か」といわれた大船主。
北前船の創始者といわれる。
灘の酒を江戸に回漕した樽廻船の運営者でもあった。
本家は明治時代に倒産。最後の当主は正造。
高田屋嘉兵衛 工楽松右衛門のパトロンでもあった
荘右衛門貞幹(さだもと 1736~1802)の頃 最も栄える。
古典落語に登場する兵庫津には巨大な家として
もうひとつ幸辰(こうたつ)があったそうで
北風に当たって寒かったら
火燵(こうたつ)へ入って温まれ
という言葉が噺のサゲ(オチ)になっている。
北風家のきびしい家風を言っているのかもしれない。
南北朝時代 家の危機を救った
北風家の北条政子とも言うべき藤の尼(尼御前)は
・・・
恥を忍び 貧困の中で時を過ごす境遇にあったとしても
境遇に耐え 人を増やし 財産も増やして時を待ち
再び公に奉仕せよ
・・・
人が増えても わが人と思うな
財産が増えても わが財産と思うな
それは全て公に奉仕する為に
そなたたちに一時預けられているものである
という家訓を残した
代表的な北前船 辰悦丸の船印は山の下に「高」であるが
笠の形をした上部の「山(笠)」印は北風家の紋章であるらしい。
北前船の創始者といわれる。
灘の酒を江戸に回漕した樽廻船の運営者でもあった。
本家は明治時代に倒産。最後の当主は正造。
高田屋嘉兵衛 工楽松右衛門のパトロンでもあった
荘右衛門貞幹(さだもと 1736~1802)の頃 最も栄える。
古典落語に登場する兵庫津には巨大な家として
もうひとつ幸辰(こうたつ)があったそうで
北風に当たって寒かったら
火燵(こうたつ)へ入って温まれ
という言葉が噺のサゲ(オチ)になっている。
北風家のきびしい家風を言っているのかもしれない。
南北朝時代 家の危機を救った
北風家の北条政子とも言うべき藤の尼(尼御前)は
・・・
恥を忍び 貧困の中で時を過ごす境遇にあったとしても
境遇に耐え 人を増やし 財産も増やして時を待ち
再び公に奉仕せよ
・・・
人が増えても わが人と思うな
財産が増えても わが財産と思うな
それは全て公に奉仕する為に
そなたたちに一時預けられているものである
という家訓を残した
代表的な北前船 辰悦丸の船印は山の下に「高」であるが
笠の形をした上部の「山(笠)」印は北風家の紋章であるらしい。
コメント
とあることがきっかけで北風家について調べておりました折、こちらのページに辿り着き、大変興味深く拝見させて頂きました。
高田屋嘉兵衛 工楽松右衛門のパトロンでもあった、藤の尼の家訓、などのエピソードについて私自身でも知り得たのですが、辰悦丸の船印は山の下に「高」であり、その山笠の紋は北風のものであったというエピソードは初めて知り、大変興味深いお話でした。
もし不躾な質問をお許し頂けるならば、どの様な文献をあたればよいか、ご教授頂けないでしょうか。
よろしくお願いいたします。