お涼さん

2009年6月23日 歴史物
お涼さん
お涼さん
「りょう」の母親は
短期間ながら堺に幕府をひらいた実力者(三好元長)の娘。
元長のあとをついだ三好長慶は
最初に畿内を統一する戦国大名になります。
「りょう」は戦国の一時期、西宮の殿様でもあり
後には畿内近国(上方筋)を統治する大大名になる
長慶の姪(妹の子供)にあたります。
但し、天地人の「お涼」さんは
作者の創作でありましょう。

長慶には有名な肖像画があります。
大徳寺・聚光院蔵(聚光院の名は長慶の法名に由来する)。
礼装の下に着ている華やかな辻が花のような着物は
木村佳乃、演じる「お涼」と通じるところもあり。
二人ともイタリアン・カラーでございます。

「りょう」の父、千利休については最初に上方を制した戦国大名
三好長慶の義弟で、後の天下人には茶頭として仕えた。
常に上方の覇者に近いところにいたひとなのです。
利休にはじまる京都 千家の墓所も大徳寺の聚光院。

現在の裏千家、表千家の祖、宮王四郎左衛門(小庵)に
茶の手ほどきをしたのも三好長慶の実弟で
阿波の殿様だった大名茶人 三好実休(じっきゅう)でありました。 
三好家と千家の仲にはただならぬものがあります。

そして、近江八幡を築いた関白秀次も豊臣秀次と名乗る前の名は三好信吉。 
東瀬戸内と畿内の覇者、三好の流れは利休や明石氏(則実)を介して
豊臣政権につながっていきます。 

秀次については、いろいろ言われるところがありますが
近江八幡を見るかぎり、なかなかバカな殿様とは言えません。
利休の死、秀次の処刑と則実の殉死などは
古代以来の水行勢力として朝廷への影響力を維持してきた
東瀬戸内の政治面での影響力後退のひとつです。

http://filologos.diarynote.jp/200905032245131690 戦国時代の西宮

http://filologos.diarynote.jp/200904212045093319 明石氏

http://filologos.diarynote.jp/200508191801530000 明石史




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